エアロベース25周年キャンペーンのプレゼントを仕上げました。
題して
「カッパーでつくる気球の世界」
気球や飛行船の図鑑でおなじみのパイオニアたちを
オーナメント風に仕立てました。
近日中に、DMと公式ストア(aerobase.shop)
で25周年キャンペーンを開催します。
5000円お買い上げごとに、気球を1点プレゼントいたします!
半立体的なオーナメント風ですが、
そこはエアロベース流に、折り曲げとはめ込みで
組立を楽しめるよう設計しています。
年に数回のDMごとに、種類を増やしていこうかなと思います。
ぜひ揃えてみてください。
では、Web上での25周年キャンペーンの準備に戻ります。
グライダーの祖
オットー・リリエンタール 1848 - 1896
オットー・リリエンタールは、自作のグライダーで生涯に2,000回以上も飛び、ライト兄弟にも影響を与えました。
パイオニアがなによりも好きな私は、1998年、故郷のアンクラム(旧東ドイツ)という街にあるリリエンタール博物館を訪問。
ベルリンから列車で2時間くらいでしたでしょうか。アンクラム駅では博物館からBernd Lukasch博士が迎えてくれました。
リリエンタール博物館内に展示されている復元機を計測。模型化に向けて図面や資料写真をいただきました。
ランチのあとはポーランド国境までドライブ。旧東ドイツとあって、当時はクレジットカードは使えず、銀行で日本円をマルクに換金しましたが、日本のお札なんて見たことないですから、行員は世界貨幣辞典とお札を見比べていました。
まずは1998年12月に、A005 リリエンタール標準機(1/48スケール)を発売。
マクレディの1号機モハベ76
1976年に浮揚したポール・マクレディの人力飛行機1号機。
エアロベース H001 モハベ76を作ってみましょう。
地味な機体ですが、
たった6点のパーツの組み合わせ(接着剤不要)で、
パズル的要素が強いキットです。
こちらは実機画像です。
(Copyright Don Monroe, used with permission)
ふわっと浮いた程度の飛行だったようですが、
人力飛行機として適当な翼長などを導き出した重要な実験でした。
主翼は上面だけ透明なフィルム(ポリエステル?)で覆われていますね。
この後の機体は下面まで覆われているのが一般的です。
骨組みが特徴のエアロベース製品の中でも、立体的な部分がほとんどない機体で、
しかも接着剤不要という条件で、設計にはけっこうトライ&エラーの繰り返しでした。
できたのはこちら。
SUS430というステンレス製エッチングパーツで、
マグネットがつきます。
パーツの厚みは0.2mm。(マイクロウィングシリーズ等は0.3mm)
硬いステンレスでも、ふつうのカッターナイフでプチっと押し切れます。
人力飛行機シリーズの開発
エアロベース 人力飛行機シリーズ(品番H001~H006まで発売中)は、
2011年9月末から開発が始まりました。
ドーバー英仏海峡を横断した人力飛行機があったことを知ったのがきっかけ。
航空エンジニアのポール・マクレディが率いたチームは、
まず実験機をつくり、続いて8の字飛行に成功。
1979年、ついにドーバーを越えます。
ネットでこの画像を見つけ、さっそく撮影者に連絡しました。
アメリカに住むDon Monroe氏は、
当時、人力飛行機チームのカメラマンを務めた方でした。
次に、図面の入手を試みましたら、イギリスに住むイラストレーター
Patrick Lloyd氏が、ドーバー海峡横断当時、機体の図解を描いたことがわかりました。
エアロベースで製品化の協力を求めるときは、それまで発売した製品の画像を
送ります。
このお二人からも、ぜひエアロベースで製品化せよ!と協力を得ることができました。
Don Monroe氏からは、他の機体の画像についても使用許可がでました・・・。
エアロベース A006 玉虫型飛行器をつくっていきましょう。これから作る方へのヒントになりますが、ネタばれ要素が強いのでご注意!まず全体像。翼幅は20cmを越えます。エアロベースのモデルの中でもボュームのある機体です。真鍮エッチングパーツ。03mm厚です。付属品。金色の糸・アルミ製の車輪・日の丸シール。説明図は日本語と英語の2か国語表記。海外の飛行機マニアへのプレゼントにも最適です。それぞれの部位を組み立てたところ。大型モデルですが、パーツ点数はたったの24点+糸。
スピリット・オブ・セントルイス用のデカールセットを発売しました。
すでにお手持ちの完成品に貼るだけでワンポイントになりますよ。
これ1枚に、
A002、B002、B102の3機分が入っています。
こうなります。
ところで、こういう水で溶いて貼るマークのことをプラモデルに慣れた方ですと、デカールと呼ぶのが普通です。
シールとかステッカーというと、台紙からはがしてペタっと貼れるものを指すイメージ。
では「デカール」を貼っていきましょう。
このまま全部水につけてしまうと、急いで貼らないとノリが流れてしまいますね。
なので、1枚ずつ切り出して、水につけます。
10秒ほどつけて、
貼る位置に台紙ごと置きます。
デカールを軽くおさえて、台紙を引き抜きます。
この工程から、「スライドマーク」と呼んでいるプラモデルメーカーもありますね。
綿棒やティッシュで水気を取ります。
スピリット・オブ・セントルイスをお持ちの方はぜひ!
気軽な作業で完成品が蘇りますよ。
スライドマーク式の貼り方に慣れれば、F-1の細いラインマークなんかも簡単に貼れます。
エアロベースの仕事 No.3
作品No.3
ロンジン社向けスピリット・オブ・セントルイス
(非売品, 1997年)
リンドバーグの大西洋横断から70年後の1997年、スイスのロンジン社から500個限定の記念時計が発売されました。
購入者へのプレゼントとして、当社製品が採用されました。
採用のきっかけは発売前の雑誌広告。突然の営業電話をかけたのでした。
すぐに銀座に飛び、1/72のセントルイス号(A002)をお見せしたところ、おまけにしては大きすぎるとのこと。
海外のプラモデルを用意するから500個つくってくれという提案でした。それはその時点でもう30年以上前から生産されている古いキットで、とても御社の実直な機械式時計のイメージに合いませんと粘っていましたら、
「それ、何?」とご担当。
出張かばんに入れていたのは、実験的に作った小さなセントルイス号でした。
金属板を溶かして生産するフォトエッチングという加工法は、小さいほど真価が発揮できるのです。
手のひらサイズの飛行機を取り出すと、「完成品を500個、用意してください」と即決でした・・・。
エアロベースの仕事 No.2
作品No.2
1/72 スピリット・オブ・セントルイス
(A002, 1996年10月)
96年4月に作品No.1 1/48フォッカーDr.1を発売した翌月、米ワシントンD.C.に飛びました。
スミソニアン航空宇宙博物館に1週間、通い詰めるためでした。
博物館のエントランスに入ると、実物のセントルイス号が、ライトフライヤー1とともに天井から吊るされていました。
事前に、スミソニアンの資料室から図面を入手できるよう手配していたので、
外形の撮影よりも、初日は細部のスケッチが主目的です。
より天井に近い2階の通路から身を乗り出し、そうですね、ざっと4時間はセントルイス号を
観察&スケッチしていました。複数の警備員の包囲網がゆっくりと縮まってましたね。
取材許可の腕章をつけておいてよかった・・・(肖像使用許諾:Lindbergh Foundation)第2作にセントルイス号を選んだのは、チャールズ A リンドバーグへの憧れでした。
フォッカーDr.1発売後に、あるお客様から映画「翼よ! あれが巴里の灯だ」のビデオが送られてきたのでした。
エアロベースの仕事 No.1
おかげさまで当社は創業25周年目に突入しました。
これもひとえにお客様の励ましのおかげです。
1996年発売の第1作、1/48フォッカーDr.1から順に、企業向けOEMなど市販品しなかったものも含めて、全製品をアップしていきます。
ぜひおつきあいのほどを。
作品No.1
1/48フォッカーDr.1
(A001, 1996年)
1996年3月の発売以来、改変なしでずっと販売を続けています。
図面はPCを使わず、墨による手描きです。このために大判のドラフター(製図台)を購入しました。
実際のパーツはこの図面の1/4サイズです。
手描きによる誤差を最小にするため、大きめに描いた図面を縮小撮影して版をつくるのです。
当社のパーツは、真鍮板を設計図の通りに溶かすフォトエッチングという手法で生産されます。
フォトエッチングするためには同じ版を2枚描き、真鍮板をはさみ込みます。
パーツわくは18x15cm
パーツ番号や模様は、ハーフエッチングと呼ばれる手法で刻印できます。
2版の片方だけ文字を描き、もう1版は単にプレートの絵を描きます・・・。
今回の新製品は、格納庫も大事な要素です。
いったいどうやって使われたのか?
リサーチ中に、海外から協力者が現れました。
絵にまとめてみました。
湖に浮かべた格納庫内部で128mの飛行船を建造し、
1. 飛行船の載ったイカダを人手で押し出す
2. タグボートで浮揚地点まで引っ張っていく
イカダは飛行船建造の土台として使われていたもの。
12個のフロートで湖面に浮かんでいます。
格納庫自体は、湖の底に固定したコンクリートの塊につながれている。(この部分は定かでない)
元になった資料は【こちら】です。